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元検事・弁護士粂原研二による刑事事件の実務

無罪事件から学ぶ刑事弁護 その(5)

取調べの可視化

事件の概要

ある金融関連事件において、捜査段階の供述の信用性を争っていた被告人や証人は、検察官による取調べの様子や意に反する供述調書に署名した理由について、公判廷で次のように供述しました。曰く

  • 検察官の見解をはっきり示され、部下らの供述を含めて証拠が積み上がっていると聞き、否認するのは自分だけが逃げ出すことになると思った。社会に迷惑をかけたので、責任を取るべきだと思った。事実を認めて保釈してもらおうと思った。それで署名した。保釈後調書を読んだら全員が同じ基調で金太郎飴みたいな調書となっていた。私と同じ気持ちでみんな署名したのではないかと思った。
  • 自分が抵抗しても無駄だと思った。関係者が何人も自殺し、私も連日マスコミから取材攻勢を受け、精神的に追い詰められた。一度認めたことを覆すのは困難だと思った。地位に伴う責任ということを検察官から強調され、他人のせいにはできないと思った。体調が悪く拘置所から早く出たかった。
  • 他の被疑者や部下らは認めていると言われ署名した。検察官から机を叩かれたり怒鳴られたりして不安になり署名した。検察官に質問され、それに答えるということはあまりなかった。
  • 違うと言っても聞いてもらえず、塀の向こうで調べるか、あなたは乗り遅れているなどと言われ署名した。
  • 対応次第では戦線の拡大もあるということを念頭に置いて話しをしろなどと言われ署名した。

この事件では、弁護人が信用性を争うとしながらも被告人らの供述調書の取調請求に同意したため、取調べに当たった検察官の証人尋問は行われませんでしたが、従来通常であれば、取調官を証人に呼んで被告人らの弁解が本当かどうか弁護人や検察官が尋問を繰り返すということが行われていました。しかし、結局、言った言わないの水掛け論に終わり、真相が分からないまま証人尋問が終わるということがよくあったのでした。本件における被告人らの弁解の真偽は分かりませんが、私には、かなり説得力のある供述であり、任意性はともかく調書の信用性の存在には疑いが残るように思えます。関係者に真実を語ってもらうためには、信頼関係を構築した上での説得が必要であり、明らかに嘘を言っているような関係者に対しては、厳しい追及も必要だと思いますが、弁解を封じ込めるような取調べを行うのは愚の骨頂であり、ろくな取調べもせずに、どう喝や手練手管を駆使し、検察が考える筋書きどおりにできあがった調書に署名させるようなことは絶対にあってはならないことだと思います。
取調べは、そのほとんどが取調室といういわば密室で行われますから、その様子はその場にいた検察官、事務官、警察官、被疑者や参考人にしか分からず、証人尋問を行っても上記のように言った言わないの水掛け論に終わることが多かったわけですが、これを客観的に明らかにしようというのが取調べの可視化、具体的には取調べの録音録画の制度です。
可視化については、公の場でも私的な場でもいろいろな議論が行われており、徹底した考えを持つ人は、全事件の全部の取調べの様子を録音録画すべきであると主張していますし、緩い考えを持つ人は、取調官が、必要だと判断したときに必要だと思う場面を録音録画すればよいと主張しています。可視化など必要ないという人も未だにいるかもしれません。
検察は、裁判員裁判制度が開始される3年ほど前から、裁判員裁判対象事件について裁判員にも分かりやすく任意性を立証するための手段のひとつとするべく、取調べの一部を録音録画する試行を開始しました。取調べは人格と人格のぶつかり合いであるとか、信頼関係を築けなければ真実を語ってもらうことはできないなどと昔からいわれ、私も被疑者や参考人といろいろな話しをする中で信頼関係が築かれるものと信じており、録音機やカメラのある前で腹を割った本音の話しなどできるとは思えませんでしたので、当時は録音録画には本当のところ賛成できず、裁判員にも分かりやすい立証をするためには取調べの一部を録音録画するのもやむを得ないという考え(消極的賛成)でした。特に、政治家やその秘書、大企業の役職員等を取調べの対象とする特捜部の事件については録音録画の対象とすべきではないと考えていました。そういう人たちがカメラの前で自分や上司の不正行為を正直に話してくれるとはとても思えなかったからです。私のこういう考え・立ち位置を見事に打ち砕いたのが、特捜部による中央省庁幹部らに対する郵便不正事件などといわれる一連の事件であり、国会議員やその秘書らに対する政治団体の会計処理に関連する一連の事件でした。これらの事件において、多数の検察官が、証拠物を改ざんしたり、不適正な取調べを行ったりして、録取した供述調書を裁判所が証拠として採用しなかったり、事実と異なる内容の捜査報告書を作成して検察審査会の議決を誤導したのではないかと指摘されたりしたのでした。こうなっては私も「特捜事件の取調べこそ録音録画すべきである」という意見に抗うことはできないだろうと思わざるを得ませんでしたし、その後、特捜部等が扱う独自捜査事件については逮捕勾留した被疑者の取調べを録音録画する取り扱いになっています。「巨悪を眠らせない」ために仕事をしていたはずの特捜検事が不正義を行い、結果的に真相解明のための有力な武器のひとつであった取調べを実のない表面的なものにせざるを得ない状況を作ってしまった上、組織の首を絞めてしまったわけで、残念でなりません。供述調書至上主義、供述調書偏重という流れがいつの間にかできあがり、そのときの上司や幹部の描く事件像にとって都合のいい供述調書を取ることができる検察官が優秀な検察官であるという誤った評価の流れと合流して、氾濫を起こしたのだと考えています。残念ながら、この決壊部分を修復するには相当長い時間がかかるように思えてなりません。

話しが少し横道に逸れたので、可視化の議論に戻します。
可視化のメリットは、いうまでもなく、事後の検証を可能にすることにより、取調べの適正を確保することと供述の任意性・信用性の判断を容易にすることです。しかし、年間200万件にも上る全ての刑事事件の取調べの全過程を録音録画するというのは、費用対効果を考えただけでも現実的ではありません。録音録画など絶対に嫌だという被疑者もいるでしょう。また、たとえば、暴力団の組員が組長の指示の内容をカメラや録音機の回っているところで素直に供述するとは思えず、組織的犯罪については真相解明に悪影響がでる可能性を否定できません。可視化の議論は、録音録画の対象とする事件の範囲と対象とする取調べの場面の範囲を中心に行われることになると思います。
なお、検察官が録音録画の記録を有罪を立証するために使用するのはおかしいとの主張がありますが、取調べの適正が確保された下での被疑者の供述を証拠として使用するのはむしろ当然だろうと思います。被告人が公判廷で事実と異なる供述をすることも残念ながらよくあることであって、捜査段階の供述を証拠から排除する理由も必要性もないと思います。


ポイント

捜査機関が不正義を行っていることが次々と明らかになっているのですから、取調べの録音録画は取調べの適正を確保するためや任意性・信用性の判断を容易にするために、もはや避けることのできない流れだと思います。私は、細かい手続きは別にして

  • 身柄拘束中の被疑者の取調べは原則として全事件について全過程を録音録画する。ただし、被疑者が拒否した場合は録音録画しない。
  • 在宅事件の被疑者の取調べは原則として録音録画しないが、本人の要望があれば全過程を録音録画する。
  • 参考人等被疑者以外の者の取調べは原則として録音録画しないが、本人の要望があれば全過程を録音録画する。

というイメージでよいのではないかと考えていますが、今後の議論を注目したいと思います。
時代も捜査の在り方もひと昔前とは明らかに変化しています。前に自白 (1)でも述べましたが、検察官には録音録画の下での取調べにおいて、私が定義するところの自白を得る力を涵養してもらいたいと思います。これができれば本当の「割り屋」といえるでしょう。



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