東京の刑事弁護・刑事告訴のご相談は03-5293-1775まで
東京の刑事弁護・刑事告訴のご相談は03-5293-1775まで
刑事弁護・刑事告訴のお申込み

事故

無罪事件ではありませんが、検察、警察の能力低下ぶりを如実に示す交通事故の裁判がありました。

事件の概要

被告人は、普通乗用自動車を運転し、信号機のない交差点を時速約30ないし40キロで直進するに当たり、交差点出口に横断歩道が設けられていたのであるから、適宜速度を調節し、前方左右を注視し、横断歩行者の有無・安全を確認しながら進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り、適宜速度を調節せず、前方左右を注視せず、横断歩行者の有無・安全を十分確認しないまま進行した過失により、横断歩道を右から左に駆け足で横断してきた被害児童(9歳)に気付かず、自車前部を衝突させて死亡させた、との事実で起訴されました。
被告人は、「前方左右を見て運転していたが、横断歩道付近に被害者を含む歩行者等はいなかった。交差点で対向車(タクシー)とすれ違った直後に右前方に黒い物が見えたと思ったら被害者と衝突した。」と主張しました。

被告人に過失責任を問うためには、被告人の行為によって人身事故が起こることについての予見可能性と、被告人と同じ立場の自動車運転者に求められる行動基準からの逸脱(結果回避義務違反)が認定できなければなりません。そして、予見可能性は、抽象的なものでは足りず、具体的な状況を前提に判断されなければなりませんし、結果回避義務違反についても同様です。
本件では、対向車が通過した直後に飛び出してくる被害児童があることを被告人が予見できたか、被告人が徐行せずに本件交差点を通過しようとしたことが、自動車運転者に求められる行動基準から逸脱したものといえるか(普通の運転者が本件交差点にさしかかれば、みな徐行するといえるか)が問題になると思われます。

道路交通法は、「車両等は、横断歩道に接近する場合には、横断歩道を通過する際に横断歩道により進路の前方を横断しようとする歩行者等がないことが明らかな場合を除き、横断歩道の直前で停止することができるような速度で進行しなければならない。」と規定しています。横断歩道があるからといって、必ず徐行し、横断歩道の手前でいつでも停止できるような速度で運転しなければならないということになれば、日本中の道路が渋滞だらけになってしまうでしょうから、車両が横断歩道を通過する際に、横断歩道を横断しようとする歩行者がないことが明らかな場合は徐行義務が免除されているわけです。横断歩道は、歩行者の安全・自由な横断と車両の円滑な交通との調節点となっているといえます。
道路交通法のこの規定は、抽象的一般的危険に対処する一般的作為義務を定めているものであるため、この規定に違反したからといって、それが直ちに過失犯における注意義務違反になるものではありませんが、被告人の過失責任の有無を考える上で重要な意味を持つ規定であることは間違いないと思います。

それでは、「車両が横断歩道を通過する際に歩行者がいないことが明らかな場合」というのはどの時点・地点で判断すべきなのでしょうか。車両の停止距離の範囲内に突然歩行者が現れた場合でも、そこが横断歩道上であれば、徐行義務に違反しているとして常に車両の運転者に過失があるといえるでしょうか。

本件は、横断歩道上の事故ですから、一見被告人に過失があることは明らかなようにも思えますが、本件にはいろいろな問題点があり、警察・検察による捜査も公判活動もお粗末であるといわざるを得ないと思います。

まず、捜査・処理上の問題点について検討します。
本件事故現場のすぐ近くにコンビニがあり、その店の防犯カメラにより本件事故当時の本件交差点の様子が録画されており、それによれば、事故の状況は写されていないものの、被告人の対向車線をタクシーが通常の速度で通過し、その直後に被告人車両が交差点に進入し、さらにその直後に対向車線をタクシーとは別の車両がタクシーより遅い速度で通過していく様子が確認できます。
このタクシー運転手は、被害児童の行動を確定するために極めて重要な人物であると考えられ、かつ、タクシー運転手を探し出すことは容易であると思われますが、そのタクシー運転手の取調べが行われた形跡はありませんでした。
防犯カメラには被害児童は写っておらず、被害児童がいつ、どこから横断歩道の手前の歩道上に現れたのかについても捜査した形跡がなく、被害児童の事故前の行動はほとんど明らかにされていませんでした。
上記タクシーの後続車の運転者は、事故現場を通過後、現場に立ち戻り、実況見分の立会や取調べが行われていますが、横断歩道手前に被害児童が立ち、後続車の方を向いていて左側つまり被告人車両側を見ることなく、横断歩道に飛び出して被告人車両と衝突した旨の説明をしただけで、先行車両(タクシー)の存在には触れられておらず、被害児童の横断歩道手前に至る行動についても不明なままでした。
被告人が立会った実況見分も極めて不十分なもので、被害児童の発見可能地点の特定すら行われていませんでした。被告人が指示説明を求められたのは、横断歩道に気付いた地点、黒い物が見えた気がした地点、衝突した地点等だけでした。

検察官は、このような不十分な捜査で収集した不十分な証拠に基づき、公訴事実を構成したため、上記の「交差点出口に横断歩道が設けられていたのであるから、適宜速度を調節し、」などという記載にならざるを得なかったのではないかと思われます。これでは、横断歩道が設けられていれば、必ず徐行を含む速度調節義務が発生することになってしまいます。
前方注視義務や歩行者の安全確認義務は、自動車運転者に課せられる基本的な注意義務であり、本件事故に特有のものではなく、被告人は、前方をよく見ていたが、被害児童を横断歩道付近に確認することはできなかったといっており、その弁解を覆すに足りる証拠は収集されていませんでしたし、捜査機関がこの点を意識した捜査を行ったとは思えませんでした。

本件の争点は、被告人に前方注視義務違反と速度調整(徐行)義務違反があったかどうかということになり、検察官は、例えば、「交差点出口に横断歩道が設けられており、その手前の歩道上には児童が佇立していて、その児童が急に歩道上に飛び出すことが予見できたのであるから、児童の動静を注視し、適宜速度を調節し、」などという公訴事実を起訴状に記載すべきでしたし、そういう証拠を収集すべきであった、ということになると思います。
そのような公訴事実を構成するためにはどのような捜査が行われるべきでしょうか。
被害児童が、いつ、どのようにして本件横断歩道付近に現れたのかをできる限り特定する必要があります。現場付近の聞き込みや情報提供の呼びかけを行う必要がありますし、少なくともタクシー運転手を探し出し、取調べや実況見分を行う必要がありました。
それでも被害児童の行動が特定できないこともあると思いますが、その場合には、被疑者立会の詳細な実況見分(再現実験)を行う必要があります。被害児童と身長が同じ人形(もちろん体格が同じような児童に協力してもらうのがよい。)を使い、横断歩道手前に立たせたり、スタートの姿勢を取らせたりし、被告人の運転車両を用いて実際に走行し、どの時点・地点でその人形を視認できるかを確定する捜査を行うことが最低限必要です。
また、目撃者が被害児童を認めた時点での被告人車両の位置を特定し、そこから被害児童を視認でき、すぐに制動措置をとれば横断歩道手前で停止することが可能であることを確定する必要がありますし、さらに対向車を走行させて被告人が供述する状況で被害児童が実際に死角に入るのか否かも確認する必要があると思います。
このような捜査を遂げた上で、起訴・不起訴を決定し、起訴する場合には、実態に見合った適切な公訴事実を構成しなければなりません。

次に公判活動について検討します。
弁護人は、検察官に対し、タクシー運転手を捜し出し、取調べを行うよう要望しましたが、検察官は補充捜査を行いませんでした。
また、弁護人は、検察官に対し、被告人による被害児童の発見可能地点及び速度調整義務の発生地点を具体的に特定させるよう、裁判所に求釈明を申立てましたが、検察官は、いずれも明らかにしませんでした。
公判立会検察官が、本件捜査・起訴が適切であると考えていたとするなら、それ自体問題であり、弁護人に指摘されるまでもなく、起訴検察官に対し、上記のような補充捜査を依頼しなければならなかったと思います。
また、公判立会検察官は、論告で、横断歩道上の事故について一審で無罪判決が言い渡され、それを破棄して有罪判決を言い渡した、東京高裁昭和46年5月31日判決にある、横断歩道に接近する際の車両の速度調整義務に関する一般論(上記道路交通法の規定と同じ内容)を引用して、被告人に過失があったことの根拠としていましたが、同判決は、「横断歩道付近の進路右側部分は交通が渋滞し、横断歩道をはさんで連続して停止車両があり、停止車両の間から右から左へ横断歩道上を横断する歩行者の出現が予想され、駆け足で横断する幼児のあることも予想できないではない状況にあったのであるから、同方向を注視して少なくとも時速を約20キロ以下に減速し、歩行者の安全を確認しつつ横断歩道上を通過すべき業務上の注意義務があるのに、約35キロに減速したのみで進行した過失」を認定した事例であって、本件とは全く事実関係の異なるもので、極めて不当な引用であるといわざるを得ません。判例、判決例は、その内容を精査し適切なものを引用しなければなりません。

本件においては、通常の速度で走行する対向車が通過した直後に横断歩道に走り出てくる子供がいることを予見できたことが立証されなければならないわけですが、検察官は、論告で、「横断歩道上で被害者に衝突させたという犯行態様それ自体から、自車の前方を横断しようとする歩行者がないことが明らかな場合に該当しなかったことは明白である。被害者は、横断歩道横でしばし横断のタイミングを見計らっていたのであるから、被告人が適切に横断歩行者の有無を確認していれば、被害者を発見でき、あるいは歩行者がないことが明らかでないとして徐行することができたはずである。」などと主張し、証拠によって認定できない事実(しばし横断のタイミングを見計らっていた。なお、しばしとは何秒なのかについては言及していない。)を前提にして、徐行することができたはずであるから過失があると主張しました。検察官に立証責任がある事実の立証を放棄しておいて、いい加減な理屈で裁判所をごまかそうとしているように見えるのであって、極めて遺憾な公判活動であるといわざるを得ません。

本件において、被告人が横断歩道の存在を認識した地点は見通しがよく、横断者がいないことが明らかであった(少なくとも被害児童やその他の人がいたという証拠はない。)から、徐行義務はなく、徐行義務が発生するとすれば、本件交差点にさらに接近した地点であると認められますが、証拠上も検察官の主張でもその地点は明らかにされておらず、したがって、被害児童の発見可能地点が、停止距離の範囲内であるか否かも不明であって、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従えば、被告人に徐行義務違反の過失を認めることは困難であるといわざるを得ないと思います。
また、対向車(タクシー)が普通の速度で走行してきており、徐行すべきことを意識させる(注意喚起させる)具体的状況は認められませんでした。したがって、被告人は、通常の運転者に求められる行動基準から逸脱した行動はとっていないといわざるを得ないと思われます。

このようにいろいろな問題のある事件でしたが、裁判所は、本件について、禁錮2年6月、執行猶予5年の有罪判決を言い渡しました。ぐだぐだ書いてはいても、要するに、対向車線を走行していた目撃者が被害児童を見ているのだから、被告人からも見えたはずで、また被害児童はタクシーが通過するよりしばらく前からその場に立っていたと社会通念上認められるから、被告人には前方不注視も徐行義務違反も認められるという乱暴な理由でした。


ポイント

この判決は、まさに「和解判決」です。裁判所の認定を前提にすれば、本件は、前方不注視・徐行義務違反の過失による、横断歩道上の児童の死亡事故で(被害児童が駆け足で飛び出したことは、被告人の過失を減じる理由とはならない、と判決はいっています。)、被告人は、任意保険に加入しておらず、示談も不成立で、被害児童の親は激烈な処罰感情を有している否認事件(被告人は、嘘をいっていて反省もしていない。)ということになりますから、被告人を実刑に処するのが相当であると思われます。
無罪でも実刑でもない、執行猶予付きの有罪判決を言い渡すことによって、検察官、被告人双方の控訴を防ごうとした姑息な和解判決であるといわざるを得ません。
なお、この事件は、結局一審で確定していますが、被告人が控訴しなかったのは、検察官も裁判所も気付いていない、したがって論告にも裁判書にも現れていない、有罪認定をされてもやむを得ない証拠関係が認められ、被告人が無罪を主張して控訴しても高裁の裁判官はこの証拠関係に気付くだろうと予測され、結局、時間と費用の無駄になると考えられたことと、本件については、執行猶予が付けば実質的な勝利であると考えられたからでした。